EDHについての戯言
2011年7月21日 MTG徒然 コメント (4)何か一部で話が盛り上がっているので、それを見聞きしての独り言を。
・カジュアルとガチとは何か。
・EDHでガチはダメ?
・カジュアルプレイは迷惑?
論争はだいたいこのあたりだと思います。
まず、原点に戻ってみましょう。
■統率者戦公式ルール(Thanx for 東京マジックトーナメント機構殿)
http://logicwolf.sakura.ne.jp/magic/edh.html
まず、大事なのは、これは公式大会用フォーマットではありません。
総合ルールでは「9. カジュアル変種ルール」内、「903. 統率者戦」にそのルールがあります。
「EDHはカジュアルか?」と訊ねられたら、「Yes」としか答えようがありません。
これは多人数を“楽しむ”ために考案されたものであり、公式ルールと称されているものも、
「サイドイベントなどでコンセンサスを取るためのもの」
でしかありません。
別に他参加者の許可が降りるなら、《ロフェロス》デッキを使おうが、《トレイリアのアカデミー》や《エムラクール》を仕込もうが、(DCIの罰則等がないという意味では)問題ないんですよ。
// もちろん、店舗イベントなどの場合は、
// 「非推奨カード」が「禁止カード」として指定されている場合もあるでしょうから注意です。
・(使用デッキにおける)ガチとカジュアルの違い
「民主的勝利」を導入した時に、他人から「お前のデッキは面白かった」と言われて投票されるようなデッキがカジュアルなんじゃないですかねえ?
ガチかカジュアルかは、デッキの志向であって、ジェネラルや色、そのプレイヤーの所持するカードプールで決定するものではないと思います。
一応、ガチと言われる傾向にあるのは、
「介入されなければ適度な速度と安定性で全員を葬れるコンボ搭載」
「全員を(ほぼ)ロックする手段がある」
「上位互換が存在するカードは、デッキ内にほぼ皆無」
等ではないかと思いますが、EDHって、「独創的な何か」が仕込んであるだけで、案外ガチとは言われない気がしますよね。
・EDHでガチはダメ?
たいていのマッチにおいて、ガチの人(と言うと定義があいまいなので、ここでは「強カードを並べたり、コンボパーツが見え隠れする人」)が場を引っ張っていってくれるので、これは必要だと思います。
敵視されることも多いようですが、なんというか、多人数戦で場がぐだらないための、必要悪?
誰もが本来目指すはずである「ゲームの勝利」を分かりやすく目指している人が否定される理由はまったくありません。
時々、「あの人とやりたくない」という意味で「あの人はガチだから」と発言があるのは、
「上位互換があるカードがデッキに入っているといちゃもんをつける・馬鹿にする」
「一般的に強カード、強ジェネラルと呼ばれるものしか認めない」
といったプレイヤー気質の問題であることの方が多く感じます。
・カジュアルプレイは迷惑?
場をもりあげるためにもこういうのも必要だと思います。
個人的にはむしろ推奨。
が、「他人に干渉する要素が一切ない」とかは、正直多人数戦ではどうかなー、と思うところ。
「多人数ならではの交渉の要素」を引き出すためにも、
白:エンチャント、アーティファクト破壊、(全体除去)
青:打消し、(バウンス)
黒:クリーチャー除去、(手札破壊…は正直無くても)
赤:ダメージを与える手段、アーティファクト破壊、(土地破壊)
緑:エンチャント、アーティファクト破壊、(パーマネント破壊)
は最低限(2~3枚で良いので)仕込んでいた方が面白くなるとは思います。
あと、勝ち筋が一切ないのもどうかなー、と思います。
民主的勝利とかを採用すると「面白いこと」を優先しちゃうかもしれませんが、普通の勝ち筋を一切残していないデッキには投票したくないですね。
勝ちを目指さないデッキ(というかプレイヤー)は交渉相手にもならない上に、無駄に長引かせようとしたりする傾向が強いイメージがあるので、他の人と手を組んででも最初に蹴落としたい(過激発言)。
「取って置きの勝ち筋が一応あるので、中盤はぐだらせる仕様です」
とかは、逆に何をされるのかどきどきできるので、良いんじゃないですかねえ。
何にせよ、最初に述べたように「場を盛り上げるのに貢献」してくれて、びっくりどっきりで起死回生をしてくれることがある面白デッキを参加者から除外する必要はありません。
----
「『MtG』を黎明期の間だけやっていた」
「高校生の頃に、『時のらせん』ブロックの時期だけ『MtG』をやっていた」
みたいな人が集まって、各々所持しているカードでEDHのデッキを作ってプレイすると、
「どんな効果ですか、それ?」
「そんなカードあったんですかー」
とか、和気藹々と楽しめるイメージ。
個人的には、《甲鱗のワーム》を仕込むくらいの心の余裕があった方がEDHは楽しめるんじゃないかなー、と思っております。
「お気に入りのカードを使いやすい」っていうのは一番の魅力じゃないですかね?
懐かしいカード、お気に入りのカードに出番を与えられるフォーマットであって欲しいと考えている以上、私の頭はカジュアルなんでしょうね。
あ、でも、私の《ウリル》デッキに《甲鱗のワーム》様は入っていません(・▽・)
とあらかじめ断りを入れさせていただきます。
すぐ上であんなこと言っていますが、ご了承くださいませ。
// 代わりに《大喰らいの巨人》g
----
EDHは、私が十数年ぶりに『MtG』に復帰する切欠となったフォーマットだっため、思うところが若干ありましたので、珍しく世間の話題にのってみましたが、こんなところで。
・カジュアルとガチとは何か。
・EDHでガチはダメ?
・カジュアルプレイは迷惑?
論争はだいたいこのあたりだと思います。
まず、原点に戻ってみましょう。
■統率者戦公式ルール(Thanx for 東京マジックトーナメント機構殿)
http://logicwolf.sakura.ne.jp/magic/edh.html
まず、大事なのは、これは公式大会用フォーマットではありません。
総合ルールでは「9. カジュアル変種ルール」内、「903. 統率者戦」にそのルールがあります。
「EDHはカジュアルか?」と訊ねられたら、「Yes」としか答えようがありません。
これは多人数を“楽しむ”ために考案されたものであり、公式ルールと称されているものも、
「サイドイベントなどでコンセンサスを取るためのもの」
でしかありません。
別に他参加者の許可が降りるなら、《ロフェロス》デッキを使おうが、《トレイリアのアカデミー》や《エムラクール》を仕込もうが、(DCIの罰則等がないという意味では)問題ないんですよ。
// もちろん、店舗イベントなどの場合は、
// 「非推奨カード」が「禁止カード」として指定されている場合もあるでしょうから注意です。
・(使用デッキにおける)ガチとカジュアルの違い
「民主的勝利」を導入した時に、他人から「お前のデッキは面白かった」と言われて投票されるようなデッキがカジュアルなんじゃないですかねえ?
ガチかカジュアルかは、デッキの志向であって、ジェネラルや色、そのプレイヤーの所持するカードプールで決定するものではないと思います。
一応、ガチと言われる傾向にあるのは、
「介入されなければ適度な速度と安定性で全員を葬れるコンボ搭載」
「全員を(ほぼ)ロックする手段がある」
「上位互換が存在するカードは、デッキ内にほぼ皆無」
等ではないかと思いますが、EDHって、「独創的な何か」が仕込んであるだけで、案外ガチとは言われない気がしますよね。
・EDHでガチはダメ?
たいていのマッチにおいて、ガチの人(と言うと定義があいまいなので、ここでは「強カードを並べたり、コンボパーツが見え隠れする人」)が場を引っ張っていってくれるので、これは必要だと思います。
敵視されることも多いようですが、なんというか、多人数戦で場がぐだらないための、必要悪?
誰もが本来目指すはずである「ゲームの勝利」を分かりやすく目指している人が否定される理由はまったくありません。
時々、「あの人とやりたくない」という意味で「あの人はガチだから」と発言があるのは、
「上位互換があるカードがデッキに入っているといちゃもんをつける・馬鹿にする」
「一般的に強カード、強ジェネラルと呼ばれるものしか認めない」
といったプレイヤー気質の問題であることの方が多く感じます。
・カジュアルプレイは迷惑?
場をもりあげるためにもこういうのも必要だと思います。
個人的にはむしろ推奨。
が、「他人に干渉する要素が一切ない」とかは、正直多人数戦ではどうかなー、と思うところ。
「多人数ならではの交渉の要素」を引き出すためにも、
白:エンチャント、アーティファクト破壊、(全体除去)
青:打消し、(バウンス)
黒:クリーチャー除去、(手札破壊…は正直無くても)
赤:ダメージを与える手段、アーティファクト破壊、(土地破壊)
緑:エンチャント、アーティファクト破壊、(パーマネント破壊)
は最低限(2~3枚で良いので)仕込んでいた方が面白くなるとは思います。
あと、勝ち筋が一切ないのもどうかなー、と思います。
民主的勝利とかを採用すると「面白いこと」を優先しちゃうかもしれませんが、普通の勝ち筋を一切残していないデッキには投票したくないですね。
勝ちを目指さないデッキ(というかプレイヤー)は交渉相手にもならない上に、無駄に長引かせようとしたりする傾向が強いイメージがあるので、他の人と手を組んででも最初に蹴落としたい(過激発言)。
「取って置きの勝ち筋が一応あるので、中盤はぐだらせる仕様です」
とかは、逆に何をされるのかどきどきできるので、良いんじゃないですかねえ。
何にせよ、最初に述べたように「場を盛り上げるのに貢献」してくれて、びっくりどっきりで起死回生をしてくれることがある面白デッキを参加者から除外する必要はありません。
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「『MtG』を黎明期の間だけやっていた」
「高校生の頃に、『時のらせん』ブロックの時期だけ『MtG』をやっていた」
みたいな人が集まって、各々所持しているカードでEDHのデッキを作ってプレイすると、
「どんな効果ですか、それ?」
「そんなカードあったんですかー」
とか、和気藹々と楽しめるイメージ。
個人的には、《甲鱗のワーム》を仕込むくらいの心の余裕があった方がEDHは楽しめるんじゃないかなー、と思っております。
「お気に入りのカードを使いやすい」っていうのは一番の魅力じゃないですかね?
懐かしいカード、お気に入りのカードに出番を与えられるフォーマットであって欲しいと考えている以上、私の頭はカジュアルなんでしょうね。
あ、でも、私の《ウリル》デッキに《甲鱗のワーム》様は入っていません(・▽・)
とあらかじめ断りを入れさせていただきます。
すぐ上であんなこと言っていますが、ご了承くださいませ。
// 代わりに《大喰らいの巨人》g
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EDHは、私が十数年ぶりに『MtG』に復帰する切欠となったフォーマットだっため、思うところが若干ありましたので、珍しく世間の話題にのってみましたが、こんなところで。
コメント
訪問&コメントありがとうございます。
私もそう思います。
三人以上のプレイ前提の発言になりますが、
「マルチプレイである以上、デッキがどうこういうよりも場を読む能力の方が必要になる」
のは疑いようがないかと思います。
☆maoさん
私も、最強候補に名の挙がるジェネラルを使っているからと言って、それでそのデッキ(というかプレイスタイル)が自分の勝利だけを優先したものか、マルチプレイを楽しむことを前提にしたものかは決まらないと思います。
が、サーチ能力があるジェネラルや、それ自身が即死コンボや無限マナのパーツになると分かっているジェネラルだったら、戦場に出しても生き残らせてもらえないのは仕方が無いとも思います(笑)
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もしも本文記事中から、
「デッキパワーに物を言わせる人は空気読め」
とか、
「EDHはデッキパワーがすべてだから、カードを揃えなさい」
とか、そんな私の心中が読み取れていましたら、そんなことはまったく考えておりませんので大丈夫です。
改めて眺めてみると、この記事には結論がないですね。
「デッキパワーも大切だけれど、『MtG』を楽しむことが大切」
「『MtG』を楽しむことが大切だけれど、独善はEDHに不向き」
「独善は良くないけれど、全員が自分の勝利を目指したほうがマルチプレイとしては面白くなる」
「勝利を目指すために、最低限のデッキ構築は必要」
結論をまとめあげるなら、こんな感じ?
そしてループするわけです(笑)
まあ、あんまり難しく考えずに、皆で楽しくやりましょー(・▽・)
同士・仲間・コミュニティは大切にねー。